リタイヤ後に待っていたのは、想像と違う日々
会社を辞め、毎日職場へ通う生活からようやく卒業。

今後の再就職はもちろん考えていましたが、
しばらくは、ほっと一息つける期間があるんだ…と思っていました。
成人してから、ずっと働き続けていましたから。
しかし、現実はそう甘くありませんでした。
娘の病気の受け入れは想像以上に進んでおらず、
朝の登校時のインスリンポンプのトラブルがあったり、
学校から帰ってくると、気が抜けるのか、
その荒れようはひどいものでした。
しかも、僕が日中家にいることが恥ずかしいらしく、
「友達になんて言えばいいの?
何もしないで家にいるなんてカッコ悪い。
飛行機乗って出張してたお父さんの方が良かった」
と心ない言葉をぶつけられたときは、正直ショックでした。
妻は、「今はいろんな働き方があるし、
家族の時間をとるために辞めたお父さんは、
むしろカッコいいんだよ」
とフォローしてくれましたが、娘の心にはなかなか届かないようでした。
病気をきっかけに変わる生活に、娘自身も戸惑っていたのだと思います。
思い描いた“のんびり生活”とは違っていた
夫婦で平日にゆっくり…
そんな夫婦水入らずの時間が増えたら、
この期間に、妻とカフェめぐりなんかもしたい…そう思っていたのですが、
長女は不登校気味になり、学校を休む日が続きました。
家にいても「のんびり」より「心配」の方が多く、
期間限定とはいえ、思い描いていた理想のリタイア生活とは程遠い日々。
そんな中、気持ちの整理がつかないまま時間だけが過ぎていきました。
「野の」との出会いが人生を変えた

そんなとき、妻が作っている医療素材アップサイクルの
ハンドメイド作品を、ご縁あっておうちごはん「野の」に置かせてもらえることになり、
その流れで僕も「援農(えんのう)」の手伝いに行くことになりました。
それが、僕にとっての心の癒しになるとは、このとき思ってもみませんでした。
自然が好きな僕にとって、北海道の山の中での農作業はまさに最高の癒しでした。
大変さはありますが、土に触れ、風を感じ、山のエネルギーを全身で受け取ると、心がスッと軽くなる。
「行くだけで元気になる場所」…それが、「野の」の畑でした。
新しい仲間との出会いと、気づき
援農の仲間たちは、いろんな考え方や背景を持った人ばかり。
食や暮らし、社会のあり方について語り合う時間は、
まるで新しい世界に足を踏み入れたようでした。
「農薬は本当に必要なのか?」
「今の日本の食の仕組みはこのままでいいのか?」
そんな話をしながら、目の前の畑の草を抜き、苗を植え、土の香りを感じる。
シンプルだけど、深く満たされる時間。

仕事を続けていたら、きっと出会えなかった仲間と価値観。
それが、僕にとっての“本当の豊かさ”だったのかもしれません。
「野の」のご夫婦から学んだこと
野のを営むご夫婦は、まさに「自然と共に生きる」を体現している方たちでした。
食を大切にし、人と人とのつながりを何より大事にしている。
そんな姿を見ているうちに、
「働くこと」や「生きること」に対する考え方が少しずつ変わっていきました。
彼らの暮らしには、都会では感じられない“豊かさ”があった。
足りないものを追い求めるのではなく、「あるものを活かして生きる」。
それが、これからの時代に本当に必要な生き方なんだと感じました。
そして、今
仕事をリタイアしてからの時間は、確かに葛藤の連続でした。
でも、家族の関係も、自然との関わりも、
あのまま会社にいたら気づけなかったことばかり。
人生は、立ち止まることで見えてくる景色がある。
僕にとって「野の」での時間は、まさにその象徴でした。
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僕が家庭菜園で育てた、さつまいもの葉の記事はこちら↓



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