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こんにちは、ツキです!
斎藤一人さんの教え「心は傷つかない」をわかりやすく解説します。
斎藤一人さんの伝えたいことを、私なりに分かりやすくして、まとめました!
この記事はこんな人におススメ!
- 嫌な思いをして傷ついている人
- 鬱や心の悩みを持っている人
- 過去の嫌な思い出を吹っ切ることができず悩んでいる人
- 心を軽くしたい人
- 斎藤一人さんのお話を理解したい人
この記事を読めば、今日から見える世界が変わりますよ!それでは、いきましょう(^▽^)/
心は傷つかないってどういうこと?
よく、ひどい言葉を言われて「心が傷ついた」なんて言いますよね。
でも、それは実は違っていて、斎藤一人さんは、心は絶対に傷つかないと言います。それはなぜなのか、理由を解説していきます!
心の正体は「光」。だから、絶対に傷つかない
心が傷つかない理由は、心は「光」だからです。
光に傷をつけることはできませんよね。心は光だから、傷は絶対につきません。これが心が傷つかない、という理由です。
では、なぜ心は光だと言えるのか?
なぜ私たちは傷つかないのに心が痛むのでしょうか?
量子学の分野で認められつつある、宇宙や現実の仕組み
ここで、斎藤一人さんのことを知らない方のために、一人さんがいつも言っている言葉を添えておきます。
「この話は、信じられない人は、信じなくて大丈夫です。
斎藤一人さんは、神様はいると信じているので、神様とか魂とか色々出てくるけど、そういうつもりで聞いてくださいね。」
こんな感じで、一人さんは、「信じられないのは当たり前だから、信じなくても大丈夫…」と言ってから、いつも話を進めます。
ですが、この神様の話は、人間の誕生や進化の過程、宇宙の仕組みに繋がる話です。
私達が見ている現実の世界の仕組みは、量子学の分野で科学的にも証明されつつあるお話なんです。なので、ぜひ信じてみて欲しいです。
私達の心は、「光」であり、「魂」である
私達が住む宇宙の中心には、「あめのみなかぬし」という、神様がいます。
この呼び名は日本名で、日本ではこう呼ばれているんです。
神様と呼んでいますが、科学的にいうと、この神様は宇宙にある大きな光の玉のことです。
この神様…「あめのみなかぬし」様から、分けてもらった魂である「分け御霊(わけみたま)」が、私達の「心」だということなんです。
私達は、神様から「分け御霊」という魂を、分けてもらった存在です。
ヒトの「心」は、実は「魂」であり、「分け御霊」なのです。
だから魂の実態は、神様と同じく「光」である、というわけです。
つまり、「心=魂=光=傷つかない」という方程式なのです。
映写機で例えると、わかりやすい
一人さんは、このことを映画の映写機で例えています。
映写機は、フィルムを通して光が映し出されます。
これが、映像になります。
私達は、この映写機のような仕組みで、物事を見ています。
魂(光)は、「思い」というフィルムを通して、映し出されます。映し出される映像こそが、私達が見ている社会(現実)です。
まとめると、こうなります。
- 光=心=魂=分け御霊
- フィルム=思い
- 映し出される映画=現実=社会
この仕組みこそが、量子力学でいう「現実は素粒子でできている」「観測した者の意識が現実に影響を与える」という事実に繋がるのです。
ですが、難しいのでその辺は科学者にお任せして、話を先に進めます。
「心」は傷つかないが、「思い」が傷ついている
「思い」というフィルムが傷ついていると、傷ついた社会(現実)が映し出されます。
例えば、背が小さいという理由でいじめられたとします。
そこで、あなたの「思い」が傷ついていると、またこの理由でいじめられるかもしれない、と思ってしまい、その「思い」=フィルムを通して社会を見ますから、その通り、背が低いことでいじめられる現実を見ることになります。
これは、あなたが「背のことでいじめられて、傷つくかもしれない」というフィルムを、セットしてしまっている状態なんです。
あなたの「思い」が、この世を映し出す
キリストも、お釈迦様も、数々の教えを残していますが、伝えたかったことは、このことです。
「あなたの思いがこの世を映し出すんだよ、ということをキリスト達は伝えたかったんだ。
映写機で例えたかったけれど、その時代に映写機がなかったので、説明が長くなったんだよね。」と一人さんは言っています(笑)
思い(フィルム)を代えれば、上手くいく
映画の映像に傷がついていた場合、傷のついているフィルムを交換すれば良いですよね。
私達の見る世界も映写機と同じ仕組みならば、「思い」というフィルムを交換しちゃえばいいんです!
つまり、「思い」を変えるだけで、見える現実が違ってきます。
先に述べた例で言うと、「背が小さいことで、得をした」というフィルムに交換するということです。
すると、背が小さいことで得する現実が現れる、ということなんです!
でも、実際に、いじめられて嫌な思いをしたあなた。
得をしたことがないのに、得をするフィルムに交換するなんて難しいと思いませんか?
「嫌な思い」を「良い経験だった」に変える
そこで、このような考え方はどうでしょうか?
あなたは、背が低くていじめられて、悔しい思いをした。
でも、この経験で、あなたはいじめられる人の気持ちがわかりました。
あなたは、今後いじめられている人を見たら助けてあげたり、悔しい人の気持ちが理解できるので慰めたりできるはずです。
慰めたことで、感謝されることだってあります。
感謝されるって、嬉しい良い経験ですよね?
こう考えると、背が低くていじめられた経験は、果たしてマイナスな経験なのでしょうか?
むしろ、この経験があったから、いじめられる気持ちが理解できたはず。
「これは良い経験だった、得する経験だった」と捉えることができるはずです。
会社の面接で役立つ「あなたの強み」に変わる
例えば、あなたが会社の採用面接を受けたとします。
あなたは、あのいじめられた経験を、
「私は背が低くていじめられた経験から、その人がどう感じるかを考えて発言するようにしています。」と胸を張って言うことができます。
実際に経験したと言っているので、何だか説得力がありませんか?
また、「その経験から私は人に優しくできる人間になれたと思っています。
御社ではその経験を必ず活かせるはずです」など、むしろ強みの種にすることもできるんです。
このように、「思い」というフィルムを変えるだけで、その嫌な出来事は、良い出来事に変わります。そうすると、面接官はその言葉が立派で採用を決めるかもしれません。
そうすると、この悲しいと思っていた経験は「得する経験だった」と言うことができるのではないでしょうか?
あなたがどう思うかで、あなたが見る現実もまた、違ってくるということなんですね。
起こっていることは、実は「無色」なもので、それに「傷ついた」という「色」を勝手につけてしまっているのが、私たちなんです。
わかっていても、悲しい気持ちになったりしてしまうのが人間ですよね。
でも、このことを知っているだけで、気持ちは軽くなりますよ。ぜひ実践してみてくださいね。
まとめ:人生は映写機!心(光)は傷つかないのだから、思い(フィルム)を変えると上手くいく
いかがでしたか?
斎藤一人さんのお話、「現実は映写機のようであり、心は傷つかない」という仕組みをお伝えしました。
私たちの見方を変えて、「嫌な思い出」は「得する思い出」に変えてしまいましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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